2024-01-03

雲と鱗

 

史上最も難産であった。

雲のいづこに 辰宿るらむ

2023-09-04

キャラ化する/される子どもたち

 土井隆義『キャラ化する/される子どもたち』を読んだ。


キャラクターのキャラ化の話は、モデル論みたいだなと思った。木村英紀『モデルの現実性について』を参照すると、モデルとは「無限の情報をもつものを有限の情報で表現する情報圧縮のプロセス」である。普遍の物差しが提供する圧縮プロトコルに従って一人ひとつのモデルに抽象されたものがキャラクターだとすれば、場面ごとに生み出されたモデルがキャラだろうか。平野啓一郎の分人主義にも通ずるものがあるが、本書ではキャラは一度生み出されたら固定化されるものと想定されており、分人に比べるとネガティヴに捉えられている。

モデル化は、それが繰り返されれば大量の情報のかたまりからその都度様々な側面を抽き出すことで一面的な評価を免れるための強力なツールとなり得るが、それが繰り返されることなく一度きりで終わってキャラが固定化してしまえば一面的な評価の単なる省力化にしかならない。従来は普遍の物差しが共有されることで一面的な評価が共有されていたが、普遍の物差しがなくなった時代にキャラの固定化=物差しの固定化が起きると、物差しが共有されるローカルな範囲の外側は理解を諦めた異物として圏外化され、個々の圏(=フィルターバブル)同士は分断される。この圏外化もまた、情報処理を省力化するための世界のモデル化と言えなくもない。

これまでは普遍の物差しのおかげでもっと大きな範囲で圏が形成されていたため、圏外とのコミュニケーションは実質的にほぼ不要だったのが、圏が小さくなったことで圏外とコミュニケーションせざるを得ない事態が増えてきている。余所者として圏外に置かれていた相手が「モンスター」として顕わになる。本書は2009年に出ているのでSNSの話題は扱っていないが、SNSによってコミュニケーション可能な範囲が広がったことも「モンスター」とのエンカウント率を上げており、あるコミュニティでの常識がにわかに炎上する事例は枚挙に暇がない。

「人間の処理能力は、世界を圧縮せずに把握できるほど高くない」ので、「抽象の力」を借りる必要がある。だから世界のモデル化をする過程で情報が失われ、圏外が作られてしまうのは仕方のないことだ。しかし、その過程で抽象された情報が存在することだけは覚えておき、自分の認識していない世界の割り方があることを知っておくことはできる。それがリテラシーだ。

あらゆる抽象は、元の状況のすべてを表すことができないという犠牲を払うことで、人間が把握できるものとなる。そのことを忘れれば、単純なモデルと複雑な状況の齟齬がもたらすカタストロフ、すなわち天災を招くだけだ。単一の判断基準に基づく抽象へと固定化することなく、発散しない程度に少しずつ判断基準を変えながら、壊死と瓦解の間で抽象し続ける。その小さな死の積み重ねがなすエネルギー変換の過程だけが、終わりなく存続することができる。
An At a NOA 2018-12-15 “抽象の力
リテラシーとは、抽象から具象を再構成する能力である。
An At a NOA 2017-04-28 “思考の体系学” 

2023-08-28

いい子のあくび

 高瀬隼子『いい子のあくび』を読んだ。


以前、性善説と性悪説について書いたことがある。両者はいずれも個人ではなく集団の特性をいうものであり、前者は固定化、後者は発散の傾向を取り上げる。

An At a NOA 2017-08-16 “性善説と性悪説

本書では、「いい子」の対義語は「悪い子」ではなく「やな子」であるから、性「嫌」説とでも言えるだろうか。社会状態においては、万人の万人に対する闘争の決着が予め決せられていることで表面的に凪いだようにみえるだけであり、その裏では日々大小様々な無数のあくびが噛み殺されている。あくびを嚙み殺すことをやめたとき、周囲から浮いた「やな子」になってしまう。つまり「嫌」性とは、調和からの逸脱の傾向である。

An At a NOA 2019-09-05“マックイーン モードの反逆児

An At a NOA 2019-07-09“名付けられぬ逸脱

An At a NOA 2018-09-30“芸術と逸脱

An At a NOA 2018-06-19“逸脱の対義語

An At a NOA 2018-06-19“エロスの涙

嚙み殺されなかった「いい子のあくび」、つまりはマジョリティからの逸脱=モードへの反逆は、調和された世界に一石を投じる。それが、問題提起する芸術となるか、はたまた狂人の犯罪となるかは、その内容ではなく誰がどう見るかで決まる。あくびを一切せずに壊死するか、あくびをし過ぎて瓦解するか。調和は常に試されている。

2023-07-23

ハンチバック

 市川沙央『ハンチバック』を読んだ。

情報世界に対する物理世界の重さの描写が鋭い。マチズモとか摩擦とか堕胎とか、生きている現実(=物理世界)とライターとしての著述(=情報世界)の対比。それに加え、この作品(=情報世界)と作者(=物理世界)の対比。そのオーヴァラップが作品の強度につながっていると思う。

2023-07-14

現実

 現実とは情報の斉一性を共有した状態のことである。

自然の斉一性Uniformity of Natureに論理的根拠がないように、情報の斉一性Uniformity of Informationも論理的に帰結するものではなく、バラバラであっても不思議でないものたちが一つのかたちをなしているとみなす一種の信仰である。

それを他人や周囲の環境と共有するという舞台設定こそが、現実なのだ。

人間側の情報の受け取り方で斉一性が崩れる場合には妄想になり、環境側で情報の斉一性が失われたように見える場合には幻想になる。斉一性を保ってはいるが限られた範囲でしか信仰が共有されていない場合には虚構になる。

2023-01-02

微妙に違う

迎春のようで迎春でない。
ミッフィーのようでミッフィーでない。

2022-09-02

ego

エゴとはつまり局所最適化のことである。