2015-07-30

反対

似たもののサジェスト機能は
今やどんな場所でも見かける。
Google、Amazon、Youtube、等々。
「これを{検索した、買った、見た}人は
 こちらも{検索して、買って、見て}います。」

反対に、同じテーマに対して異なるアプローチを
しているものへのアクセスはあまりサジェストされない。
「これを{検索した、買った、見た}人は
 こちらも{検索して、買って、見て}みましょう。」

こういった絞り込みというのは、前者に比べて
難易度が高いのであろう。
例えば、サッカー日本代表の采配を賞賛する記事に対して、
批判する記事を絞り込むには、テーマは同じだが、
論調や結論が異なるものを探してこないといけない。
隔たりは大きい程よい。
関連性の薄さだけで絞り込むと、「おいしいラーメンの茹で方」
みたいな記事でもよくなってしまうからダメだ。

ある事柄に対して、いろいろな意見に触れておくのは、
自分なりの考えをもつための最良の手段だと思っている。
こういうサービスがもっと普及することを願う。

p.s.
ちなみに、「サッカーとラーメン」というのは
どっちが好きかを聞かれても違いすぎて優劣が比べられない例として、
ある人が挙げたもので、これを間髪入れずに思いつくのは
すごいなと素直に感心して以来、たまに使っている。

FTA

FTAっていうのは要するに、
国民国家が表向きは武力によって
国土を拡げ続けるのが難しくなったから、
仮想的に国土を拡げ、国民の数を増やすことで、
日々増加する国家破綻のリスクを低減するための
ある種の延命装置に過ぎないのでは。
各個人は、経済の世界で仮想的に複数の国家の
国民として生きることになるようなイメージで、
これによって、武力行使を伴うことなく、
ある国家は繁栄し、また別の国家は衰退する。

だけど、完全な自由貿易が成立したとき、
国民国家の存在意義はより少なくなるのではないか
という気もする。
だから、管理貿易協定のような性質を帯びるのは
致し方ないというか、そういうものなのだと思う。

第二次大戦で核兵器が使用され、冷戦期を通して
もはや武力による拡大が人類の終わりにつながっている
雰囲気が漂ったことで、戦争は物理的なものから
経済の世界に移ってきた。

この次が情報戦争だとすると、
その動きは既に始まっていると見るべきだろう。
政財がつながったのと同じくらい、情報界とつながれなければ、
国民はむしろGoogleやAppleの仮想的な帝国民であることを優先する。
GoogleがCNILの命令を拒否している理由にも、
そのあたりが端的に現れているのだろう。

アラブの春もそうだったが、新国立競技場の問題が
ここまで拡大したことに対するSNSの影響も、かなりのものであると感じられる。
この資料によれば、日本のtwitterユーザ数は、2012年には1350万人だったのが
2015年には2230万人になっており、倍弱まで増えている。
2011年の震災の折にも、twitterの果たした役割は指摘されたが、
5年前の時点では新国立の計画を左右する程の影響力はなかったように思う。
一つの政治形態の始まりになりうるであろうか。

増上寺

初夏や
蝉なく寺を
ゆく坊主

炎天下
苔むす地蔵の
手には花



--
並んだナランダ、赤白黄色

2015-07-26

白岡

白岡高校が浦学を破って決勝進出らしい。
その記事に「白岡市」という単語が出ていて、
はは、何を言ってるんだ、白岡は町に決まってんだろ、
と思ってたら、3年前に合併ではなく単独で
市に進化していた。
驚きである。

川辺

欄干に
もたれしばしの
沢涼み



--
猛暑日という言葉も、できて久しい。
連日の35度を超えるうだるような暑さの都会では、
高速道路の下を流れる川でさえ、
ひと時の涼を与えてくれる貴重な要素である。

2015-07-24

セッション

にわか雨
重ねて聞こゆは
蝉しぐれ



--
亜熱帯気候のように降るようになったにわか雨。
つられて鳴き始めるのは決まってツクツクボウシだと
感じているのはただの思い込みなのだろう。
雨がドラムスなら蝉はギターだ。
今日もまた気まぐれな真夏のジャズセッションが
始まろうとしている。
しばし店の軒先で耳を傾けようか。

2015-07-23

淡い

春よ来い
願う乙女と
麦帽子


--
遊び、部活、勉強に出かける学生が駅のホームにちらほらと。
世には夏来たるらし、乙女の春は遠かるらし。

花火

満開は
まだかまだかの
夏夜空



--
ヒューという音を立てて、
また次の打ち上げ花火が昇る。
火の玉が消え、ほんの一瞬訪れる静寂と闇。
一秒あるかないか。
花開くまでの時間は、緊張と期待に溢れ、
必要以上に長く感じられるものだ。

縁側

目を遣れば
うちわ風鈴
蚊取りブタ


--
梅雨が明け、雲が高く積まれるようになったある日の午後、
ふと縁側を見ると祖母が休んでいる。
右手にはうちわ、鴨居にはふうりん、
傍らにはブタのかたちをした蚊取り線香入れ。

いつか見たことがある気がしているが、
どのくらいの人が実際に見たことがあるだろう。
今年も夏がやってきた。

Go

Goに入ってはGoに従え
When in golang, Do as the gophers do.

夕涼み
ひねもす鳴く音は
あと幾夜



--
最近では昼夜を問わず蝉が鳴いている。
黄昏時にボーっとその声を聞いているとき、
ふと七日目はいつかと思い至る。

私の七日目はいつくるのだろう。

2015-07-21

3D雨雲ウォッチ

NICTとMTIがフェーズドアレイレーダのデータを基にした
アプリを開発したらしい。
NICTが噛んでるあたり、ヴィジュアル的には期待大だが、
関西地域限定らしい。しかもAndroid4.4以上なので手元で
試せない。

さらなる発展に期待。

2015-07-19

環境

ネスカフェ原宿でやっている西表島のイベントが良さそうだ。

どんな感じを受けるのか、とても興味がある。

自分でもこんなのが作れると面白いが、
音響に関しては、BOSEのSoundLinkMiniIIで十分満足できる。
枕元に置いて波の音を流すと、かなりそれっぽい。
問題はプロジェクタで、なかなか良いものが見つからない。
ASUSのP2BみたいなものでWiFi接続できれるのがあればなあ。

2015-07-16

GitLab

GitLabのロゴが変わっている。
あの可愛らしさがかけらもない狐がいなくなった。
しかもロゴがsvgで作られていて、トップページだと
パーツごとに光る。クールだ。


golangでpdfに日本語を書き出す

しばらく見ないうちに、draw2dの開発が盛んになっていて、
Stani Michiels氏によってgofpdfを利用したpdfバックグラウンドが
実装されていた。

gofpdfの方で日本語関係の更新がないから期待はしていなかったけど、
やはり日本語が表示できるところまで行き着かない。
なので、draw2dのImageGraphicContextをほぼ丸々写して、
ストロークとして文字を書き出す方式で実装しなおした。
yofu/draw2d

これで一応golangからpdfに日本語の文字を書き出せるようになったが、
テキストとしてではなく図として書き出しているので、
当然文字列の選択等はできない。
良い方法が見つかるまでの代替案として。

2015-07-15

A/D

アナログとデジタルの違いって
解像度の違いのことでしょ?

梅雨明け

雲が夏の形をしているのに、
気象庁がまだ明けていないと言い張ることに
違和感を覚える初夏の午後。

2015-07-10

自動翻訳

英語の翻訳をしてみるとわかるが、
翻訳という作業は階段を何段か登って別のルートから
降りてくるような作業であるから、現在実装されているような
単語を一対一対応させたり、コンテクストに応じて
対応させる単語を変えたりする程度では大分限界がある。
インド・ヨーロッパ語族同士のように、文法構造が似通った言語
の間であればまだしも、日本語と英語のような場合は絶望的だ。


RBMを何層も重ねたようなかたちにして、
 表現の層⇔文法構造の層⇔意味の層
のような階段をある程度上まで登ってから、別のルートで降りる。
富士登山で、山梨側から登って静岡側に降りるような。
言語構造が近い場合は、あまり上まで登らなくても
すぐに同じ層に辿り着けるからすぐに降りてこれる。
果たして日本語と英語は意味の層まで登りつめれば
同じ所に辿り着けるだろうか。
だんだんサピアウォーフの仮説みたいな話になってきたな。

2015-07-03

someとany

「このライブラリ『誰か』使ってる?」

この記事で@lestrratがおっしゃっているように、
日本人は中学校くらいのときに
肯定文はsome、否定文と疑問文はanyと習う。

だけど、否定文や疑問文で使われるsomeもあるし、
肯定文で使われるanyもあるので、私の理解は
someが存在記号(∃)、anyが全称記号(∀)、である。

Somebody doesn't like this library.
Anything will do.
等が上記の例だが、
∃x, x doesn't like this library.
∀x, x will do.
と読めば良い。
Something will do.
という言い回しがあるのかは知らないが、これも
∃x, x will do.
と理解すれば良い。

例えば晩御飯のお使いを頼まれたときに、
Anything will do.
であれば「何でもいいよ」であるが、
Something will do.
だと、「(具体的には思いつかないけど)食べたいものはあるよ」
となる。そんなお使いはしたくないが。


そもそも両者は全く異なる概念だと思うんだけど、
ごっちゃになるという話を何故かよく聞く。

2015-07-02

news

Google Photo's mistake
こういう話が出始めたのを聞くと、
人工知能は着実に人間に近づいているなと感じる。
まさに、分別のない子供の失言に対して
親が陳謝する構図である。

■新幹線焼身自殺
■所沢市の育休退園
高齢者が年金が少ないと絶望して周囲を巻き込んで自殺し、
夫婦は子供も満足に産んで育てられない。
日本という船はもう沈みきったんではないか。
その割には、みんなおんぶにだっこで国に寄りかかろうとしている。
船が沈んでいるんであれば、自力で泳がないと助からない。

2015-07-01

mass

ギリシャ危機の裏でプエルトリコがひっそりとデフォルト宣言をし、
うるう秒がうんたらという話で少しだけ盛りあがっている最中、
マスコミへの圧力がどうのという話が出ている。

マスコミュニケーションという形態自体が既に大衆を扇動するための
構造をはらんでいるのに、なぜいまさら取り沙汰されるのか。
20世紀に生きた人は、比較的テレビや新聞を「正しい」ものとして
捉えていることが多い気がする。
おそらく、そんな人達同士で、圧力をかけるな、とか何とか
やりあっているんだろうなと、漠然と想像している(違うかもしれない)。

現在程インターネットへの接続が一般的ではなかった時代には、
親、教師、マスコミがおそらく三大情報源であった。
友人や近所のおじさんおばさんに比べて、ここから発せられる情報には
かなりの信憑性があったように感じられる。
そして、今から振り返ると、それはうわさ話と同等か、それよりは
多少信頼できるものとして受け取っておくのがよいなという感じだ。

子供にはインターネットへのアクセスを制限すべきというのは一理あるが、
その遮蔽フィルタにも当然ある種の意見が含まれているのは
忘れないようにしなければならない。