2018-04-29

範囲攻撃

ここで「範囲攻撃」と呼ばれているのは行き過ぎた演繹のことであるように思う。それは一種のハラスメントであり、論理的には大いに誤謬を含んでいる。

具体的なものをまとめて抽象的なものに置き換えるという「範囲化」をえいやでやってしまえるような、誤謬可能性をはらんだ投機的短絡の過程が意識であるとも言えるが、その範囲化の判断基準が変更可能であることもまた意識の特徴であり、変更可能性を失い投機性だけを残した範囲化は範囲攻撃へと転ずる。常識も慣習も言語も文化も宗教も科学も、意識的な行為は常にその可能性を秘めているはずだ(という指摘もまた範囲攻撃になり得るはずだ)。

自分がどんな判断基準に従っているか。
他にどんな判断基準があり得るのか。
それは常に気にしていたい。

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